“普段”を見失なっていました💡

久しぶりの投稿です。4月1日からこのエッセイを始めて、7月の猛暑の中で「こんな暑いのに文章考えて投稿なんか出来るかっ!」と断念して、ようやくの投稿です。



毎日続けていたラジオ配信も、インスタ投稿も、ラジオ体操報告ブログも「こんな暑いのにいちいちスマホなんかイジりたくないわっ!」と全部中断しました。



何も投稿していない間、録画して溜まりに溜まった『ラヴィット』を少しずつ観て、爆笑しながら『ラヴィット』を観れる幸せを噛み締めていました。ホント最高の番組。接しやすい。そりゃ思わず丸山礼のロバート秋山みたいな口調になっちゃいますよ。




そして毎日投稿するってかなり異常だなぁと思ったのです。特にこのエッセイ。



元々は、普段語りたいのに語れないものを文章にしようと思って始めたエッセイなのです。なんでもない普段の日常もこれから毎日エッセイとして投稿すると最初に言ってました。


それが毎日頑張って投稿していたら、普段の日常がよく分からない投稿になっていました。


特に暑くなってからは、毎日思うことはとにかく暑いってこと。でもそれじゃあ一行で終わってしまうから、別なことを考える。エッセイ投稿が先になってしまう思考。投稿がどんどん強いストレスになり、文章入力を完成させた喜びがどんどん弱くなっていきました。ただただ辛くなっていたのです。



そして投稿を思い切って止めて、気持ちが楽になって、分かったことがあります。



毎日タピオカ飲むのと一緒だ。この辛さは。昔テレビでやっていた『黄金伝説』の一つの同じ食べ物だけずっと食べ続ける生活のような毎日でした。マグロ一本食べ尽くす生活とか覚えていますか?実際にその企画をやってみたら、相当過酷でしょう。



きっと毎日何かしら投稿するインフルエンサーへの憧れみたいなものが自分の深層心理にあったんだと思います。クオリティーが酷くても毎日続けることで、何か自分の血肉になるのではないかと。



でもこのエッセイはそんな類のものでは無いのかなぁと思います。だって“自家製でタピる”っていうタイトルですし、毎日実際タピるって相当好きじゃないと厳しいし。



あーこれは自分の憧れを模倣していただけだったんだと思いました。だからタイトルも“自家製でタピる”から“たとえばタピオカ”に変えました。普段の日常を毎日投稿というスタンスから、何かしらピンと来たことやアイディア、インスピレーションを大切にしたものにしようと思います。もう毎日にこだわるのは止めました。



“普段じゃないこと”を普段の毎日にするのは考えものです。






自家製でタピる

誰かとタピるつもりで独り家でタピる🧋 フィルターバブルティー🫧🫖

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