松本人志と世間のイメージ

松本人志に対する世間のイメージは大きく変わった。


松本人志に対する世間のイメージを語る上で大きくターニングポイントになった年は3つあると思う。1つ目は1995年の紅白乱入。2つ目は2001年のM-1審査員就任と2度目の紅白出場。そして3つ目は2024年現在。

・1995年の松本人志 ダウンタウン結成から13年目 



“流行は複雑で、ときには突発的に見えるけれども、すべての事象は連動し、28年で真逆に転じ、56年で一巡する”

「ヒトは7年で脱皮する 近未来を予測する脳科学」より抜粋

現在の松本人志に対する世間のイメージと28年前の世間が抱いていた松本人志のイメージについて考える。

松本人志はプレイヤーとしてお笑い界の頂点に居た。


週刊文春の記事を発端にした松本人志騒動の約28年前。1995年の紅白歌合戦に初出場したダウンタウン浜田雅功と小室哲哉のユニット、H Jungle With t。相方である松本人志は坂本龍一がプロデュースしたダウンタウンの音楽ユニットゲイシャガールズの格好で乱入し、会場を沸かせた。ちなみにその時の紅白の司会は古舘伊知郎と上沼恵美子。この2人も現在自身の番組やYouTubeで松本人志騒動に対して言及している。

1995年に発表された芸能人長者番付で松本が1位、浜田が2位となった。1993年から1995年にかけて、松本が『週刊朝日』に連載していたエッセイが『遺書』『松本』というタイトルで単行本化され、それぞれ250万部、200万部を売り上げた。

当時ダウンタウンとして「HEY!HEY!HEY! 」「ごっつええ感じ」「ガキ使」「DX」と沢山の人気番組を抱え、大晦日に紅白で最高の盛り上がりを見せた1995年。この時松本人志は32歳。現在に比べれば、売れているお笑い芸人の数も少なかった時代。ダウンタウンはお笑い界の天下を取った。プレイヤーとして。そして紅白出場の翌年1996年には松本人志単独出演の大喜利番組「一人ごっつ」が放送開始。相方の浜田雅功と違い、お笑い界のカリスマ、孤高の天才のイメージにますます拍車がかかる。

それから28年経って、芸能活動休止の松本、孤軍奮闘する浜田。共に60歳の還暦を迎えたダウンタウンは今後どうなるのか?今後のダウンタウンと松本人志を語る上で大事なもう一つのターニングポイントの年へ。

・2001年の松本人志 ダウンタウン結成から19年目



28年で大衆の感性や流行は真逆になるという。そう考えるととんねるずや島田紳助やSMAPや「いいとも」終了のように、地上波のダウンタウンの番組終了の日も近いのかもしれない。

お笑い界のプロプレイヤーからカリスマリーダーへと変貌するダウンタウン。


ダウンタウンが紅白に出場したのは、1995年と2001年。2001年にはRe:Japanという吉本所属の芸人で構成された音楽ユニットで2度目の出場。メンバーにはダウンタウンを筆頭に東野幸治、藤井隆、ココリコ、ロンブーなどがいた。「黄金伝説」「ロンハー」「あらびき団」など数々のお笑い芸人が出演する番組のMCを務めてきた実力者のメンバー達。その中心にいるダウンタウン。共に年齢は38歳。この頃から吉本を牽引する若きリーダーから、お笑い界全体ひいてはテレビ業界を牽引するリーダーとして本格的に始動してゆく。そしてその対比として映ったのは、同じ紅白で歌手として初出場するザ・ドリフターズだ。

20世紀のお笑いの歴史に大きな足跡を残したドリフと21世紀のお笑い界を牽引する国民的人気芸人ダウンタウン。この紅白出場の後、日本テレビで始まる大晦日の笑ってはいけないシリーズや「リンカーン」「水曜日のダウンタウン」など新たなダウンタウンの快進撃が続く。

時を同じくしてM-1が始まったのも2001年。世間が思うプレイヤーとしての松本人志という存在は、この年を境にどんどん薄まり、代わりに権威あるお笑いの審査員松本人志としての存在がどんどん色濃くなってゆく。

そして松本人志と共に吉本という存在感が更に大きく増したのもこの2001年からだった。それはいち大手のお笑い事務所というよりは、日本のお笑いを代表する総合エンターテイメント事務所として。

その2001年から真逆の感性になる28年後の2029年。果たしてその時ダウンタウンらの姿はあるのだろうか。また吉本はどうなっているのだろうか。

・2024年の松本人志 ダウンタウン結成から42年目

“世間のほとんどの人は、60歳の松本人志にあの頃の松ちゃんを重ねて見てはいない”


今回の松本人志の芸能活動休止を受けて、松本人志に対する色んな記事やテレビ、ラジオ、ネットなどでの有名人の発言を一通り見た上での自身の感想。ほとんどが2001年以降の松本人志を軸に語っている。

それでもお笑い界で圧倒的な権威を持って君臨している松本人志という存在よりも、90年代全国的なお茶の間の人気お笑いスター松ちゃんとして、ダウンタウン松本を好きな人も居ると思う。

自分が初めてダウンタウンを知ったのはウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子が出演していた深夜番組「夢で逢えたら」。年号が平成に変わったばかりで、当時まだ20代だったダウンタウンやウンナンはお笑い芸人であると同時に大人気アイドルだった。すでに先に売れていたとんねるずらと共に“お笑い第三世代”と呼ばれ、冠番組を多数持つ超売れっ子芸人だった。そのアイドル的な人気の勢いのピークが1995年の紅白出場だった。

しかし、28年経てば人の感性は真逆になる。もし28年前にタイムスリップして、当時の紅白を観ていた人達に、28年後には松ちゃんが金髪の筋肉ムキムキマッチョになって、呑めなかったお酒も呑めるようになって、結婚して子供もいる身でありながら、女性への性加害報道で芸能活動休止することになるなんて誰も思わない。世間のイメージだけではなく、松本自身も大きく変わってしまったのだ。

それに比べると、浜田は松本ほど大きく変わってはいない。1995年の紅白初出場の時も2001年の2度目の紅白出場の時も。現在ではTBSの番組で「ハマダ歌謡祭」なるものをやっている。松本が「ワイドなショー」やSNSを始めて、ご意見番のような存在になっていくのとは対照的に…っていやそんなことないな!ABEMAで日本版ゴッドタレント『Japan’s Got Talent』の審査委員やってたわ!

最後に浜ちゃんが「チキンライス」や「明日があるさ」を歌ってダウンタウンの番組を終わらせるという形も出てくるかもしれない2024年以降のテレビ。

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