ボケとツッコミの関係性

今まで色んな人が漫才を何かに例えてきた。自分が思うに、漫才とは乗り物の運転だ。ボケは運転手。ツッコミは同乗者。ボケの運転に対し、ツッコミが指摘したり合いの手を入れる。


ボケが変な運転をすれば、ツッコミはたちまちボケを諌める。ボケが安全運転をしていたら、それはきっと漫才にはならない。ツッコミの出番が無くなってしまうからだ。


漫才ブームをリアルタイムで見ていない世代の人間だが、懐かしの映像で見るツービートやB&Bの漫才は、スピードを上げに上げて、たけしや洋七が爆走する超高速漫才だ。スピードを上げなくてもおかしな車の動きをするザ・ぼんちや西川のりお・上方よしおもいる。


運転手と同乗者の間で、最初にどこに行くか話を決める。これは漫才でいうところの大事な筋フリだ。最初にどこに向かうかハッキリ言わない漫才はフリの無い漫才だ。見ていて奇妙な漫才だろう。


運転手が行きたい目的地。同乗者が行きたい目的地。そこに向かう道は、漫才でいう話の筋道になる。筋道を無視する漫才もあるけどね。


ツッコミは基本正しい話の筋道を踏もうとする。ボケはツッコミに対して、おかしな話の筋道を立てる。ツッコミはそれに納得出来ない。しかし、運転手はボケであり、ツッコミはあくまで同乗者だ。最後までボケの運転に付き合わなきゃいけない。車から降りたい時は「もうええわ。」とツッコミがボケに言って、ボケが運転を止めて一緒に車から降りる。


ツッコミがボケの運転を一旦信じて裏切られる形だから漫才は面白いのだと思う。まぁツッコミがボケを一切信じないスカシ漫才のようなものもあるが。


運転手と同乗者の関係性も大事だ。仲の良い友達同士もあれば、タクシーの運転手と客、自動車教習所の教官と教習生、バスの運転手とバスガイド、渋滞でイライラして口論する夫婦、社長と専属運転手、逃走犯と人質などなど。運転手と同乗者の関係性・パワーバランスの数だけ色んなタイプの漫才がある。運転手と同乗者が途中で入れ替わることだってあるだろう。


ちなみに「運転手」の「手」とは何か調べてみれば、そこには「ある仕事を受け持つ人」といった意味がある。舞台でボケる仕事を受け持つボケの人も、それに突っ込むツッコミの人もどちらも逞しい。


ただ、舞台の上のスリップ事故には要注意だ。

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